ペルーがペルーであり続けること

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インカ帝国の時代作られた石の基礎。スペインの侵略の際、最後まで破壊できなかった。その上にスペイン式の建設物が作られたのだが、地震で基礎以外は崩落。なにか皮肉でもある。クスコの町並み。

チチカカ湖・ウロス島(草で出来た浮島)で暮らす人たち。フジモリ氏がソーラーシステムと衛星放送をプレゼントしたとか。テレビからの情報でたくさんの知識を持っている。同い年のこの方、10人の子持ち。観光客相手の商売で教育費を捻出しているらしい。彼女の刺繍タペストリーは芸術である。あまり動かない生活から肥満が多く、浮いた島での動作は関節痛(なんとガイドはリウマチと説明。主人いわく関節痛をリウマチと呼ぶのは世界的なことだそうで)を常時引き起こしてしまうとの事。

地方の朝市。トウモロコシが鮮やか。デープな旅を好む観光客相手になっているらしい。

ペルーは背伸びする必要はないのだ。ペルーがペルーである限り、明日からもペルーなのだろう。折りしも世界同時株安のピーク。激しく揺れる世界の価値観とはかけ離れて、今日もペルーの人たちはペルーの生活を続けていくのだろう。

最後に朝市での驚き。AJINOMOTOの小袋。日本の「味覚の侵略」がここまで・・・・・。心が痛い。

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