大人になった恵先生

遠方の方々からは「さぞかし被災地での医療活動大変でしょう」とお声かけいただく。

 

現状は違っていて被災地に医療活動へは一度も行っていない。出身地、そして思い出深い地域医療の市町村の津波の被害、真っ先に駆けつけたかったけれど、お医者業23年目の私なりに節度ある態度でかまえていた。

 

一人で飛び込んでも無力なことを良く知っている。ただちに入るのは訓練を積んだ救急医療のプロだ。

 

まず県庁の担当者に連絡を入れると医師会で統括しているとのそっけない返事。それでもやっと通じた被災地への電話で、以前勤務していた診療所の事務長に診療応援の申し出を行う。

 

事務長の返事「首長と現職の先生が大丈夫です、なにかあったらお願いします」とおっしゃっています、とのお返事をいただいた。長期戦になると医療のカタチも変わってくる。出番がきたら頑張ればよい。

 

被災地でない勤務病院だって医薬品も検査薬も不足で、物事がなかなか前に進まない。暖房も制限されていたし・・。それに勤務地への交通機関も限られていて、余震で在来線がストップし1時間半も遅れて到着や、新幹線で42分の仙台へはバスで2時間40分かけて日帰り通勤している。自身の生活を営むことが精いっぱいだ。被災地から搬送されてくる方の手術で主人はへとへとで、数日間不明だった母親の安否を気にしながらの激務で、夜中にうなされている声がとても切なかった。加えて毎晩の余震。

 

宮城県から避難所を5か所転々とした後、岩手県北の親戚に身を寄せている老夫婦が外来を受診した。2週間で5Kg 体重が減り、内服薬は底をつき肌は乾燥して顔色が悪かった。しかしその方々の受診の際の応答の姿は崇高で、こちらが泣きたくなったことを覚えている。

 

3週間ほどして地元医師会から応援診療が可能かどうかのアンケートが来た。自分のできることを正直に記入して返信した。

 

昨日、何度か現地入りしている内科医の先生と同席する機会に恵まれた。外部から来た救急医療チーム、地元の医師、そして大学病院から派遣されるある程度地元の様子を知っている医師チーム。それぞれ医療の視点は異なる。

 

今、必要とされる医療、それは地元の医師が良く知っている。暮らすように診る、以前の私のテーマだ。

 

医療機器も無く、薬も無い・・・一人では出来ないことが多い。

 

かつての私を勇気づけた言葉

 

共感は唯一の万能薬である。

 

出番は無いほうがいいかもしれない。今の自分は泣いてしまって仕事にならないような気がする。

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そっと被災地を訪ねた。かつて仕事をした病院が大きく傾き周囲には血圧計や座行車が散らばっていた。

そして祈りの詩(うた)をかきました。

 

http://www.recipe.jp/mt/archives/2011/04/post_1895.html

作曲の小原薫氏に心から感謝の気持ちを・・。メロディはこちら↓↓

http://www.youtube.com/watch?v=bEKluxeA-VA&feature=youtube_gdata_player

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