無くしそうになった大事なものをありがとう

独り暮らしをしていた義母(おかあさん)が被災した。チリ地震津波も経験している。おかあさんは頭脳(あたま)がいい。お世辞ではない。

 

すでに我が家にはおかあさん専用の個室があったが、自由人で自然人のおかあさんは沿岸にひとりで暮らしていた。しかし被災。

 

しばらくは我が家にいて、たまに被災した家(瓦礫にはなっていない)から「大切なもの」を持ちかえっていた。津波で汚れたものを毎日庭先でごしごししていた。

 

仮説住宅に入ることにしました・・・。いつの間にか自分で決めていた。そして自分の部屋の荷物はそのままに・・・。

 

窓際にポケットアルバムがおいてあった。1998年、私が二人の小さな子供の「おかあさん」をしていた。私は実はこのころの記憶がない。仕事と子育て・・どちらも覚えていない。なぜだかわからないが覚えていない。

 picture1

このころの自分をもう一度生きたい。ちょっとだけ・・子供ともう一度遊びたい。今はそれぞれの個室で勉強しているのかどうだかも不明、話しかけてもなんだか迷惑そうで、当時の自分そのものの子供たちと「あのころに帰って無邪気におかあさんしたい」。むしが良すぎる話・・・だけど。

 

変色した写真の縁、津波があたった場所です。USBなどでしたら水にふれるとアウト。紙媒体だからこそ・・かな・・・。

コメント投稿

メールアドレスは公開されません。