研修医という思い出

昔の話だが、いろいろ考えて卒後11年目で研修医となったことがある。県立宮古病院。かなり特例だった。指導するほうも大変だ。研修医って楽しいなぁ、解らないことは「解りません、教えて下さい」と平気で言える。科の垣根を越えて研修医と名乗ればどの先生にもダイレクトに質問に行ける。通常なら自分のプライドがじゃまして、そんなことは出来ない。同級生が科長でいて(写真中央)支えてくれた。この時ばかりは「人」に恵まれた。今でも感謝の気持ちを忘れていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

この時ご一緒させていただいたのが宮古市田老診療所の黒田先生だ。そのあとも私が診療所務めをしたころに田老に黒田先生が勤務されていて、仕事上も大変お世話になっていた。地域医療への想いは自分とは明らかに違っていて敬服することばかりだった。

 

違いは周囲からの期待度。

 

なに、それ?と思うでしょう。世間さまというのは女性に大変厳しいのですよ。子持ちの女医さん、とそこから話が入る。だから私は決められた年限に「診療所立て直しの目標を達成」、それが評価されなくても去ろうと最初から思っていた。だからどんな理不尽な事も気にせずに持続できたのだろうと思う。

 

黒田先生への期待度は大きかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、被災地の患者さんアンケートで田老を訪れた。折しも後任医師がテレビニュースで流れたその日だった。黒田先生は清々しかったがスタッフはとても暗かった。

 

私は正直ほっとした。地方自治体病院というところは医師を正当に評価しない。「だまって患者を診ていればいい・・」ひと、もの、かね、情報・・経営に必要な事柄は何ひとつ自由にならないのに赤字や問題が生じるとすべて医師の責任とされる。

 

黒田先生は本当によくやったと思う。だけれどこのままいたずらに年月が過ぎて本当にいいのかな・・・。辞表を提出、そして3月の大震災。先生の気持ちはこの本によくあらわれていると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

黒田先生、ありがとう。長い間ごくろうさまでした。

 

帰り際に、どんこから揚げ丼、食べていってくださいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い出の善助屋食堂、被災後は仮説住宅の向かいで営業している。

黒田先生に輝かしい未来あれ!

 

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