ブラジル版「アリとキリギリス」にみる人間の価値観の違い。
三砂ちづる氏がタッチハンガーで紹介しているそうです。
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青いドレスを着て、髪が長くきれいにお化粧をしたキリギリスの歌う舞台の前には多くの虫が集まり、キリギリスはいかにも人気の歌姫という風情です。集まった虫たちの表情はうっとりしていて、キリギリスがいかに力量ある歌い手かを連想させます。
そのそばではエプロンをかけた働きアリがせっせと食物を集めています。アリはこの忙しいのになんでみんな呑気に歌なんか聴いているのだろう、と冷ややかな目で舞台のほうを見ています。まして、歌い手のキリギリスに温かい視線を注ぐことなどできやしません。よくみんなこんなに暇でいられるな、とばかりにありはせっせと食べ物をため込みます。
キリギリスは、昼間は太陽の美しさ花の美しさを歌い、他の虫を喜ばせます。アリは自分の運ぶ食べ物のことばかり考えています。夜、キリギリスは星の美しさをたたえて眠り、アリはどのくらい食べ物が貯まったかを考えて眠ります。
日々はそのようにして過ぎていきます。
ある日、キリギリスは草原の舞台で歌っていました。「アリさん、どうぞここにいらっしゃいよ。あなたのために歌うわ。なんて美しい秋なんでしょう!!」。アリは「実りの秋で忙しいのに、そんなことしていられないわよ」と怒ります。
さて冬がきて食べ物がなくなり、惨めに倒れたキリギリスはアリの家に行き、食べ物を求めます。
アリ「わたしが一生懸命働いていた時あなたは何をしていたの?」
キリギリス「人生の美しさ、友情と、すべての虫の連帯の美しさを歌っていたの。わたしの歌は子供たちを幸せにして、恋する若者たちの心を燃え立たせたわ」
それを聞いたアリは、はっとしてキリギリスへの非礼をわびました。「ああ、わたしは自分のことばかりにかかりきりになっていた。あなたはそうやってみんなを喜ばせてきたのね・・」
アリはキリギリスを温かく迎え入れ、美味しい食事をふるまい、それから冬じゅう二匹は友情の美しさをたたえて、踊り暮らしましたとさ。
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日本の価値観では、アリの生き方が正しいと教えられてきたと思います。それより携帯電話にだけお金をつぎ込む若者が幸せそうにはみえないのです。
医療でも「今を生きるキリギリス」への生活指導は時としてやっかいですが、血液検査データが少々悪くても毎日楽しそうに生活している方へは、それでいいのでは・・と大分前から思うようになりました。そうしてまごころで診察すると、患者さんも答えてくださるようになります。
1 コメント
アリとキリギリスの話に例えれば、確かに勤勉と貯蓄が日本人の美徳だと思います。しかし、僕は随分と前から、行き過ぎたアリの生き方に疑問を持つようになりました。例えば、景気が悪くて生活が不安だから貯蓄をする、とよく聞きますが、それは自ら自分の首を絞めているのではないかと思えてきました。景気の悪さは嘆くが自らは消費しようとしない、まさに自分のことしか考えていないアリの発想と本質的に同じではないかと。浪費を推奨しているのではなく、もう少しキリギリスのような寛容な消費が欠けているのではと思っています。病は気から、と言いますが、景気も個々の気からだと思います。