花笑みの里が教えてくれたもの

クレソンを摘みにひとり車を走らせた。

そういえば梅の花咲く時期である。思惟大橋の道の駅公園に立ち寄った。

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作家の吉村昭氏と津村節子氏が植樹した梅は濃い桃色の花を咲かせていた。5月GWとしてはかなり寒い日、風に吹かれながら、まだ散れませぬ、そう唇をかみしめているかのようであった。記された「花笑みの里」は・・・。

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平成12年度から6年間、私はこの地で診療所長を務めた。その前任の先生が将基面誠先生であった。吉村昭氏とは交友があったそうで、将基面先生の自叙伝「無医村に花は微笑む」には推薦の言葉を書いている。TBSのドラマにもなるくらいに生涯は物語的である。主演は三浦友和、奥さま役は伊藤蘭、ゴールデンタイムの放映だった。赴任して間もなく他界した奥さまが、梅の花を沢山植えて美しい村にし、梅の実を特産物にすればいいのにね・・・そう語っていたそうだ。

 

19年間の田野畑村での診療生活は著書に記載されている通りである。将基面先生が赴任されたあたり、私はこの地を一旦去ることになる。高度成長時代、日本にはお金が湧いていた。というよりお金を稼がせられていたかのようだった。お金に結びつく産業は建設だから、小さな村でも25くらいの建設業者があったそうだ。地元の国会議員が港湾整備の視察と名うって、三陸各地でパーティを開催、予算が決定したら海岸線はコンクリートで埋め尽くされた。小さな集落へも舗装道路が敷かれた。何に使用するか解らない農免道もいくつか作られた。自然を観光のPRにしながら、自然破壊も平気で行う。愚直に聞こえるらしいが、正義からはかけ離れた事を平気で行う人間のいやさ加減は、医学を含めた自然科学を専攻する者には許しがたい。

 

気絶したふりをしているかのような時代に、田野畑村に舞い戻った。なんでしょうか、この地域は・・・悩んで悩んで、ともかく経営赤字解消だけに突っ走った。数字上の改善は見事だったが、何が正しいのか正義なのか解らないままに6年は過ぎた。

 

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なかには見守ってくださる方もいた。元保健師の岩見ヒサさんだ。年齢は親子以上に離れているが今でもご健在だ。診療所勤務時代は訪問診療を利用してくださり、若輩もの私を「先生」と呼んでくれた。ともかく感謝の言葉につきます。どれだけ素晴らしい方かは、著書をご覧になっていただきたいと思う。田野畑村に原発が建設されなかったのはこの方の功績による。日本昭和のマザーテレサかもしれない。

 

そして将基面先生が教えてくれたこと、具体的に述べはしませんが、これまでの私の活動の軌跡に見え隠れしているはずです。

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クレソンを摘みながら、色々な出来事が爽やかに脳裏を駆けめぐった。

愚直でいいや・・・。

 

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