投稿者: 宮田 恵

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。今年もご指導よろしくお願いいたします。

 

活動を共にしてくださる方々に恵まれてきました。

 

最近の傾向は医師で共通の方向性を持つ方々とやっと巡りあえてきたことです。医療費の使い方が日本の方向性をあやうくしているのです。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/iryouhoken/database/zenpan/dl/nenrei22.pdf

 

統合医療を勉強し始めていますが、代替医療の寄せ集めでは決してなく、それぞれの治療法の良しあしを評価しながら、患者さんあるいは国民の方々にベストの治療法を医師の目の届く範囲で提供するというものです。

 

目が届かないところで国民の方々は時として命までおびやかされる状況になります。その領域に数兆円のお金が流れています。国民も自覚していただきたいですね。

 

そして医療人が真摯に思っているのは保険診療の医療だけでは、患者さまの治癒や真の健康に到達できない、ということです。診療規則やマニュアルに則った医療を行わなければ、患者さんに何かあればすべてが規則にのっとらない医師の責任となります。しかも混合診療が認められていないので、一生懸命診療して「治癒」に導く医療機関は経営が立ちいかなくなります。

 

その矛盾のなかで、優秀といわれている医師の方々は黙々と診療を続けています。ある意味強靭な精神力です。しかし能力の無駄遣いだと思うのです。

 

ブログを書きながら、今年の目標を整理しました。今年からということではなく、目標として掲げてきたことでもありますが再掲します。

 

1.医療に野菜を応用していくこと。食事療法に必須の野菜、野菜がなぜ必須なのかを具体的に提示していくこと、その野菜が単に「野菜」とひとくくりにされないよう、それぞれの野菜に科学的な意味合いを持たせ、解りやすく説明していくこと。

2.良い野菜をこつこつ毎日食べる事を治療として継続することを支えるため、必要な食文化や食の流通の仕組みを、他の領域の方々と構築していくこと、すなわち経済的な流れを作る事。

3.農業と日本の伝統的食文化(遺産)は切り離せません。日本文化で世界に経済の活路を見出すことは子供たちに残しうる最高の財産であり、そして平和維持のために必須です。伝統野菜は日本食文化そのもの、次世代に残せるように活動を継続します。

4.高齢化社会、農業を生業とする方々の幸福度は高いと考えています。自立する高齢者の健康をささえます。

5.以上の項目は、県立病院内科非常勤、家族の医院(みやた整形外科医院)、みやぎ食育アドバイザーの仕事を通じて、そして講演や執筆活動を継続しながら、生活者目線で発する言葉を選んでいきたいと思います。

 

さて今日は大雪でしたが、映画館で「レ・ミゼラブル」を鑑賞しました。ミュージカル仕立て、感情に訴えるものは計算された映像より歌に込める抒情は大きいのでした。正義は方向性を間違えると人を傷つける。そして多くの人を巻き込むと平和がそこなわれる。

 

そのあたりのバランス感覚は女性の方が持ち得ているでしょうし、これからの日本人女性が頑張らないと、子どもたちが間違った正義をふりかざしてしまいます。

 

さてこのミュージカル、コゼットが幼少期過ごした宿の女の子と共通の男性を好きになるという展開。学生革命家の男性はコゼットにぞっこんになるし、映画だからもちろんコゼット結ばれる。しかもジャン・バルジャンの命をかけて。意地悪な両親に育てられ、本来なら悪役の立ち位置なれど、その片思いで不器用に気持ちを伝えられないままに、戦い(革命からはほど遠い)の銃弾を好きな人をかばうがために自分がうけた。その一連の音楽や映像は切ないですよ。コゼットと学生革命家の幼稚な恋愛描写にエッジをつける、かなり重要な役回りでした。

 

革命のリーダーが「結果はどうであれ、今日この日に、こういう事が起きたという事実が後世に残る」、そして全員のコーラスのフレーズ「武器を鍬にかえて」、今、時をこえ世界に。

 

今年もよろしくお願いいたします。

2012年の反省

幅のある一年でした。模索していた自分だからできるという領域が見えてきました。

今年の思いでのフォト1枚。

 

 

歴史ある神社の石畳、旅人が描かれた石畳は、人生を模索した先人たちの「こころのカタチ」であるのだと思います。

 

そして責任を感じる一年でした。

 

医療界からの評価が以前より高くなったような気がします。医師会などから講演依頼がいくつかありました。しかしまだまだハードルは高く、研鑽と精進が必要です。

 

全国規模の数誌の雑誌に掲載されましたが、個人的な認知度はまだまだ高くありません。

 

人間として成長させていただきました。なにがあっても反射的に感情表現せず、その裏側にある要因を咀嚼してから返す言葉を選ぶようにしました。まだまだ未熟です。気づきは、肩書と人格は時として乖離している場合があるということです。皆、人間なのですね。

 

年齢や領域をこえて、沢山の素晴らしい方々にお会いできました。仕事その他が持続出来ますこと、ご一緒させて頂いたすべての方々のお蔭と、深く感謝しております。

 

難しい時代ですが、焦らずにコツコツ前に進もうと思っています。今年は多くの方々にお世話になりました。少しでもお役にたてたなら嬉しいです。もしもご迷惑をおかけしたらごめんなさい。

 

来年もどうかよろしくお願い申し上げます。みなさまのご多幸、そして真の世界平和を願っています。

 

野菜の価格

家庭画報に掲載していただきました。関係者の方々には心より感謝申し上げます。

 

記事にある野菜は特別なものではなく、ごくありふれた身近なものばかり。記事で強調したことはきちんと栽培された野菜を、なるべく新鮮なうちに(栄養価の消耗が少ない)、自分で料理して、毎日コツコツ食べることです。

 

どんな経済状況の方でも共通のこと。こちらの雑誌をめくりますと庶民の生活とはかけ離れているので、自分の記事は地味、しかしライターの方の力量で日常的な野菜がなんとも価値あるものになりました。

 

 

さて私は生活環境から美味しい野菜は苦労せずに手に入ります。富裕層が通うスーパーマーケットもあると聞きますが、そこにならんでいる野菜は本当に新鮮で美味しいかはわかりません。記事の中で、取り寄せしてでも良い野菜を、としましたのはそんな理由からです。

先日発売のプレジデントという雑誌に面白い記事が。農水産物のナゾ「いちばんかせぐのは流通業者?」という内容。農水産物部門の割合はかなり少ない。生産されてから消費者の所に届くまでに、食に係る多くの業者がひしめいています。たしかにいつでもそれなりの食事が楽しめる現代、流通業者が介在してこそ。

 

しかし生産部門では売り先の確保に悩んでいる。つくばで講演させていただいた際にも議論されていましたが、野菜工場や大型施設栽培でも悩みは共通です。

 

もっと「欲しい!」という声をあげないと手元に美味しい野菜は届くシステムは出来ないし、経営がなりたたなければ生産が持続しなくなります。

 

富裕層はマイ農家さんをもつ、それがステイタスになるといいですね。