食育3年6ヶ月(医師・野菜ソムリエ→抗加齢医学)

high school

3年ぶりの高校生への食育。食事調査をしてから講義というスタイルは今回も同じ。教諭や食育実践者への講義は多いが、実際生徒に「教える」機会は限られている。

思えば3年前野菜ソムリエを名乗って高校生へ講義をしたことがある。食育はまだ歴史が浅く、テレビや新聞で報道された。実状は異なり教育現場への新参者は管理者からすれば「要警戒人物」。知り合いの保健体育の教諭が板ばさみになって苦い思い出となった。食事調査と講義後のアンケートだけはきちっと受け取ったのがせめてもの救い。郵便物で届いたアンケート結果の中に、保健体育の先生(長いお付き合いなのだが)から報酬が無くゴタゴタのお侘びにと、お札が同封されていた。その有難い気持ちと、生徒たちの評価の高さが、今までの自分の活動をささえている。

時はめぐり抗加齢医学を勉強してから食の講義は変化した。

食から個人の生きる背景が見えてくる。高校生は親の食の管理から離れ自分の好きなものを選択しはじめる。この期間にすでに指摘されている20台の食の問題点が始まっている様だ。地方でも存在するコンビニ。その地域の「ウリ」がエコとか癒しでも、食の問題や住民の健康は他の地域と変わらない。

3-4年前に「食育」周辺の業界が色めき立った。しかし現在どれだけの効果があがっているだろう。しかも大人たちの生活習慣病の状況は変わっていないのだ。特定検診もしかり。

自分の子供にはあまり食べさせたくない食を提供する食品メーカーの食育や、化学調味料の会社が行う「昆布や鰹節の味覚授業」が妙に思えるのは自分だけでは無いと思う。

企業のメンタルヘルスが問題となっている。金銭を投じても改善したいのは実情から理解できる。そちらが専門の先生とざっくばらんにお話したことがあるが、「一体何を治すのか」理解できなくなり「治してないじゃないですか」と反論してしまった。企業は困っているから金銭を投じる。

食をめぐる健康の問題は「困っている人」が少ない。食育がうまくいかなくても誰もせめられない。食事があきらかにメンタル・ヘルスに関与し「困った状態」になれば状況は変わる。自身は食の周辺とメンタル・ヘルスは関連があると思っているが、専門ではないので言及を避ける。

食という生きる手段の背景には地域づくりや国のあり方なども見えてくる。今日はそんなお話をさせて頂いた。途中瞬間的に居眠りする生徒もいたが、最後の視線の集中は生徒さんたちの生きていく力強さを大いに感じた。

その後、地域の食文化を牽引している企業の方と会談させていただいた。共通の思い、それで今日の報酬は十分ですし、明日からも活動を続けられそうな気がしました。本当にありがとうございました。

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