投稿者: 宮田 恵

無くしそうになった大事なものをありがとう

独り暮らしをしていた義母(おかあさん)が被災した。チリ地震津波も経験している。おかあさんは頭脳(あたま)がいい。お世辞ではない。

 

すでに我が家にはおかあさん専用の個室があったが、自由人で自然人のおかあさんは沿岸にひとりで暮らしていた。しかし被災。

 

しばらくは我が家にいて、たまに被災した家(瓦礫にはなっていない)から「大切なもの」を持ちかえっていた。津波で汚れたものを毎日庭先でごしごししていた。

 

仮説住宅に入ることにしました・・・。いつの間にか自分で決めていた。そして自分の部屋の荷物はそのままに・・・。

 

窓際にポケットアルバムがおいてあった。1998年、私が二人の小さな子供の「おかあさん」をしていた。私は実はこのころの記憶がない。仕事と子育て・・どちらも覚えていない。なぜだかわからないが覚えていない。

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このころの自分をもう一度生きたい。ちょっとだけ・・子供ともう一度遊びたい。今はそれぞれの個室で勉強しているのかどうだかも不明、話しかけてもなんだか迷惑そうで、当時の自分そのものの子供たちと「あのころに帰って無邪気におかあさんしたい」。むしが良すぎる話・・・だけど。

 

変色した写真の縁、津波があたった場所です。USBなどでしたら水にふれるとアウト。紙媒体だからこそ・・かな・・・。

食育

いろいろな方々が食育活動をされています。自分なりに2つの県で実践しています。

宮城県:栄養士さんや地域の食生活推進委員などからの講演依頼が主です。時間的な制約がネック。

http://www.pref.miyagi.jp/kensui/syokuiku/sokuikuouendan/miyatamegumi.html

岩手県では現場での実践は高校生が主体。行政からの依頼はなぜか無くありません。教育現場の方々からの依頼が多かったのですか、内容は神経を使います。

http://iwate-shokuiku.com/

放射線科も専攻する私ですが、食について勉強を深めるために現在糖代謝内科にお世話になっています。まさか放射能線と野菜について語る日が来るとは・・・予想していませんでした。

追憶の村コンサート

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鵜の巣断崖、三陸大津波で回顧された吉村昭氏の石碑がある。

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その断崖の下にはハマナスの咲き乱れる名もない海岸がある。お気に入りの場所。

 

追憶の村

 

 

 

 

 

 

 

 

40年前に創られた曲。この曲と祈りの詩と浜茄子のかほり誘うあの頃へ、この曲を持って被災地コンサートを企画させていだだきました。

http://www.youtube.com/watch?v=UCOIm7a6A_w

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表現がうつむくだけの感動、なのかと思いました。まだグリーフの中で揺れ動いています。それは私自身も・・・。

小原さん、中島先生、北田さん、本当にありがとうございます。