投稿者: 宮田 恵

日本食育学会

栄養学、農業大学、福祉大学、食品企業・・・さまざまな食の領域が集まる。横須賀、ちょっと遠いがこのような機会がなければ足を踏み入れることもないだろう。

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第2回でも発表している。医療系の発表はまず無い。食からの健康、予防を推し進めるという仕事が、収益に結びつく人は少ない。だから医者で仕事にする人はいない。

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緊急セミナー。ちょっと残念・・・。

発表後、座長にあいさつをした。「臨床医で食育をするとは奇特な方」、なぜなら「儲かりませんものね・・」おっしゃる通りだ。

 

しかし考えるに、儲かることだけが優先されるから、今回の震災でさまざまな問題が大きな代償を伴って湧きあがったのではないですか?まあ、儲からないことを一所懸命にやっている人間が馬鹿扱いされる現実に迷いを感じる自分も、ちっぽけな野郎である。

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講演に小泉純一郎元首相が。食ということではなく、これからの日本人の生き方を語った。

 

「人生の本舞台は未来にある」。明治大正昭和の40年間を国会議員で過ごした方が94歳で筆した言葉だそう。

 

食育の話はわずかだったが、この言葉をいただいて今日の記念にしようと思います。

 

それにしても翌日の新聞に、この小泉氏の講演の記事がのっていた。「小泉元首相、自民党政権時代の原発政策を非難」。そのような発言はない。そう記者に聞こえたなら、話の筋道を聞ききれていないヘボ記者かも。「反省」して「これからの日本を語った」というのが正解。そのような記事をのうのうと載せるメディアも儲かる主義の典型ではないかしら・・。

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懇親会は観音崎観光ホテル。野菜が新鮮でレベルが高く美味しかったのですが、メイン料理は魚や肉でした。講演会は「日本食」「魚食」がテーマでしたが・・。

 

いろいろ考えた2日間でした。今日は雨となれないハイヒールで2回も転倒。ついてない!

無くしそうになった大事なものをありがとう

独り暮らしをしていた義母(おかあさん)が被災した。チリ地震津波も経験している。おかあさんは頭脳(あたま)がいい。お世辞ではない。

 

すでに我が家にはおかあさん専用の個室があったが、自由人で自然人のおかあさんは沿岸にひとりで暮らしていた。しかし被災。

 

しばらくは我が家にいて、たまに被災した家(瓦礫にはなっていない)から「大切なもの」を持ちかえっていた。津波で汚れたものを毎日庭先でごしごししていた。

 

仮説住宅に入ることにしました・・・。いつの間にか自分で決めていた。そして自分の部屋の荷物はそのままに・・・。

 

窓際にポケットアルバムがおいてあった。1998年、私が二人の小さな子供の「おかあさん」をしていた。私は実はこのころの記憶がない。仕事と子育て・・どちらも覚えていない。なぜだかわからないが覚えていない。

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このころの自分をもう一度生きたい。ちょっとだけ・・子供ともう一度遊びたい。今はそれぞれの個室で勉強しているのかどうだかも不明、話しかけてもなんだか迷惑そうで、当時の自分そのものの子供たちと「あのころに帰って無邪気におかあさんしたい」。むしが良すぎる話・・・だけど。

 

変色した写真の縁、津波があたった場所です。USBなどでしたら水にふれるとアウト。紙媒体だからこそ・・かな・・・。

食育

いろいろな方々が食育活動をされています。自分なりに2つの県で実践しています。

宮城県:栄養士さんや地域の食生活推進委員などからの講演依頼が主です。時間的な制約がネック。

http://www.pref.miyagi.jp/kensui/syokuiku/sokuikuouendan/miyatamegumi.html

岩手県では現場での実践は高校生が主体。行政からの依頼はなぜか無くありません。教育現場の方々からの依頼が多かったのですか、内容は神経を使います。

http://iwate-shokuiku.com/

放射線科も専攻する私ですが、食について勉強を深めるために現在糖代謝内科にお世話になっています。まさか放射能線と野菜について語る日が来るとは・・・予想していませんでした。