スコールの様な雨だった。雨でも晴れでもどうでもよかった。信頼と失意、反する感情が交差するここ2-3日の重たい心のまま、バスに乗り換え緑のニュータウンを眺めながら向かった。
浜茄子の歌(追憶の村)の原作者の娘さんに完成したCDをお渡しする約束をしていた。
春ごろにとある市町村から癒しの旅について相談されたことがある。自然医院構想というもので、どこにもあるものだと感じた記憶がある。背景は良いが、どうも履き違えている感があり、自分の仕事ではないと思った。
癒し・・・・そこから考えるようになった。心にとどけるということは難しい。聴覚から意識あるいは記憶まで到達することも難しい。ただ活字よりは心地よさが伴っていれば届く情報は確かかもしれない、と沢山のグリーン・ツーリズムのパンフレットを見て感じていた。
浜茄子の歌はその物語性を確信していた。作詞を手がける前に、どのような展開になるのか想定もせずに、許可だけは得ようとその方に電話した。今思えば、澄んだその声は、後に曲の主要な構成楽器となる、フルート奏者の参加を予言していたのかもしれない。快諾していただいた。
作詞は感情は入っていない。視覚、聴覚、触覚、嗅覚・・・それぞれに訴え、聞いている人の体の中に新しい立体感覚が生じるように意識した。風は触覚、潮騒は聴覚、花のかほり・・・「やませ」はしずかに包みこまれる白い空気。それぞれの人の中に、それぞれの記憶や感性がわきおこれば、曲の目的はまず達成される。
お会いした方は音楽家でした。そうぞうしい話で迷惑かもしれない・・・・それだけが心配でしたが、昔の記憶をゆっくりゆっくりたどりながら、お互いにまったく違った人生であったのに、今日こうしてかつての音楽が誘った二人の会話の中心は、そのままの手がつけられていない「自然の癒しのちから」。
あの海の碧さ(この字で良いのか・・・)は、ほかの地にはどこにも無い碧さ。少しのまじりもない透明な碧。と、まっすぐに私を見ておっしゃられた。
曲を創ったことがさまざまなことを引き起こしてしまうかもしれません。しかし、この曲に携わった人々すべてが、まごころという美しさで満ち溢れているという強さが、今の自分に勇気を与えてくれます。
帰りは本当に恐縮でしたが、その日居合わせた、まぶしいほどの優しさにあふれた旦那様にお送りしていただきました。かつて勤務されていたという煙突と漁港の街と、私の幼少の記憶が交差しました。
雨の交差点で車を降り、おじぎして、傘をさして、もう一度振り返ってお辞儀して・・・・車は右折していきました。
癒し・・・まだ一言では説明できませんが、この音楽が何かを創りだしてくれる予感がします。